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2009年3月21日。
本日、映画「野獣刑事」のDVDが発売されました。
この良き日にと思い立ち、ブログを開設することとしました。
本来のブログというものと違うのかもしれませんが、映画「野獣刑事」そして工藤栄一監督について、ひたすら称賛していきたいと思います。

▼キャストへ、 ▼スタッフへ、 ▼シナリオへ、 ▼聖地巡礼

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【30周年】1982年5月17日(月)四十五日目■本日、クランクアップ ~ アッハッハッハ、ゴクローサン、ゴクローサン

30年前の今日、映画「野獣刑事」は全ての映像素材の撮影を終え、クランクアップしました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

5月17日(月)四十五日目
4:00出発の実景ロケ隊の為、夜を徹してスタッフルームで監督、そして照明部が寝ずに起きていてくれた。但し酒を飲みながらである。最後の撮影には参加できないが、酒を飲みながら実景班スタッフを起こすこと位は出来ると、照明の渡辺さんの提案に皆が賛同してくれた。非常に有難いことであると思う。かくして嬉しい酔払い共に見送られ、実景班は大阪、釜ヶ崎へ。車内よりの盗み撮りで5カット。そして早朝大阪のビル街を求めて梅田へ。梅田東映の屋上からの3カット完全クランクアップである。監督がひとりひとりに握手を求める。
「アッハッハッハ、ゴクローサン、ゴクローサン」やけに眩しいオッサンの顔ではあった。

最後の2カ所での撮影は、タイトルバックで使われたカットでしょう。
Cap009 Cap002
梅田で3カットとありますが、残り2カットは使われなかったのかもしれません。

イメージフォーラムでは、成田祐介助監督(当時)のレポートに続き、仙元誠三撮影監督のコメントと、締めの言葉が添えられていましたので引用します。

「アイタタッ」の弁
仙元誠三

■今回の抱負
正直なところ、工藤さんに、また何か注文つけられるんじゃないかということで、それに応えられるものを自分では用意していたつもりなんだが、今度の狙いというのは、大阪を舞台にいわゆる男と女のカラミをどんな方法で表現するか、つまり見てきれいなものにするか、絵にしてドロドロしたものにするか、逆に芝居の中でドロドロとした中にカメラを置くか、つまりその辺がポイントとなったね。
結局、今回は割とサッパリしたんじゃないかな。つまりカメラを回している間は、俺も俳優さんがドロドロとした画をつくってくれるもんだと思ってたんだけど、意外にサッパリしてるんだな。結局、みんな割とサッパリしてた気がするんだよね。
■フレームについて
俺は、だいたい自分で「アイタッ、ちょっと画がキレた」とか、そういうことに関しては、必要、つまりどうしてもキレちゃまずいという以外は、余り気にしないんだよね。だって声が入ってるし、画の中にその人間が入ってりゃ〝決まった″ということがなくても平気なんだよね。つまり画の中にキチッと決まっているというのは、もの凄く見やすいし、見る人も説明はキチッとつくんだろうけども、やっぱり、「アイタタ、アイタタ」って欠点の中で、すごく囲りも雰囲気が撮れたという時が一番いいんじゃないのかな。
■逆光について
『横浜BJブルース』の時は全然、意識しないで自分の感じ、自分のペースで撮ったんだけど、今回、参考試写で『その後の仁義なき戦い』を見て初めて、工藤さんが〝逆で″っていってた意味がわかったんだよね。「アイタ、これか!」ってね。でも俺は他人が撮ったカットで、いいカットだなぁって思っても同じことはやりたくないもんね。どこか違うのをと思って、今回も2回程あるんだけど、どこか逆らってやろうと、別にそんなことに意味はないんだけど、俺なりの考えがあって、特に説明はしないんだけど、一寸違う、とハッキリいっちゃうんだよね。
俺はまわりのスタッフに嫌われても、意識したら行動できないからね。特にこれからまわりの人に好かれるようにと思って行動したら俺はすぐ転んじゃうんだよね。これからの若い人はちょっと後ろに控えて冷静になってるよりも、ひとつひとつにもっと夢中になってガムシャラにいった方がいいと思うんだよな。

厳寒の二月に京都にきてから、クランクインが三月七日、そしてクランクアップが五月十七日と三ヶ月半もかかってやっとアップすることが出来た。どんなに着込んでも寒くてしょうがない寒さに打ち震えていたのが、いつの問にか半袖のTシャツ一枚の季節になってしまっている。当初、一番、不安であった東京スタッフと京都スタッフの混成スタッフということも、終わってしまえば取り越し苦労というもので簡単に済んでしまう。映画の現場の最も魅力的な部分なのであろう。最初から東西などなかったのではないか。仕掛人のオッサンのヨミには今もって感心させられる次第である。最もそうなったのは相互スタッフの想いもあるのだろうが、オッサンの魅力がそうさせたのかもしれない。一期一会。素晴らしい言葉だと思う。
最後にスタッフ・キャスト名を連記しておきたいと思う。

■スタッフ
監督●工藤栄一 企画●日下部五郎/本田達男/葛原隆康 脚本●神波史男 撮影●仙元誠三/田村輝行/柳島克巳/山本朗 録音●荒川輝彦/栗山日出登/田辺義教/田中正行 照明●渡辺三雄/山岸晴海/鈴木敏広/黒田紀彦/市川元一 美術●高橋章/今井高瑞 編集●市田勇 音楽●大野克夫/浅岡弘行 助監督●成田裕介/藤山顕一郎/渡辺容大/伊藤裕彰 記録●梅津泰子 装飾●窪田治/田畑照政/大庭信正 衣裳●黒木宗幸/山本光延 メイク●太田とも子 擬斗●三好郁夫 スチール●金井謹治 宣伝●丸国鑑 演技事務●寺内文夫 スタント●スリーチェイス 車輛●饗場禎一/富士本智/斯波勝美 進行●清水光作/細野辰興 進行主任●長岡功

■キャスト
緒形拳/いしだあゆみ/川上恭尚/泉谷しげる/益岡徹/西山辰夫/成田三樹夫/小林薫/藤田まこと/遠藤太津朗/阿藤海/芦屋雁之助/高野洋子/絵沢萌子/蟹江敬三

この後、編集などの作業を経て映画として完成するのですが、
キネマ旬報842(8月下旬)号50ページでは
6月末には早くも完成、試写を見たマスコミの一部で評判となっている
とあり、1ヶ月半の作業を要したものと思われます。

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【30周年】1982年5月15日(土)四十三日日~四十四日目■楠葉ロケ×リベンジ!

30年前の今日、撮影はいよいよ大詰め、楠葉での籠城シーンを夜通し撮影です。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

5月15日(土)四十三日日~四十四日目
早朝七時からのロケーション。昼間、京都市内二ヶ所を撮影後、前回、雨で断念した楠葉住宅地の夜間、早朝ロケへ向かう。前回とほぼ同規模の撮影だが、一度、配置、段取りを決めている為、比較的スムーズに撮影は進行する。
大滝が一課長の制止もきかず、単身、阪上籠城中の家へ乗り込む。しばしの沈黙。そして-、銃声が二発。「浅間山荘スタイルでいこうや」といっていた監督の演出、成程、中がみえない不気味さがある。夜の部、それでも終了時は最早十一時を過ぎていた。一担、所内へもどり、仮眠後、午前三時出発で同地へ。頭が醒めきっていないのか緩慢な動作と
段取りの遅さに、
「バカヤロー!! 早くしろ、陽が昇っちゃうじゃないか!!」
と、仙元さんの怒鳴る声。
早朝のロングショット、救急車が去ってゆくカット。何とか間に合う。
再び所内にて仮眠を。午後、最後のスタント、パトカーの炎上シーンを撮影。不眠不休の神経のゆるんでいる時に、思わぬ事故が起きるものである。細心の注意と最大の集中力をもってこれに挑んだ映画屋のタフさに我ながら感心。
楠葉住宅展示場の一軒をお借りして最後の芝居ガラミの撮影。夜間である。籠城中の阪上と稔、そして大滝のアクションを撮影して終了。本当に永い間のスタッフ諸兄の努力に感謝する。但し、明日の実景描写が残ってはいるのだが-。

前回のレポートで、午前3時に京都に戻ってきたと思ったら、7時からのロケが始まりました。何という過酷な現場でしょう。(移動のバスでは寝てるという話はあるにしても……)
京都市内2カ所の内容が気になりますが(終盤の稔の万引きシーンでしょうか)、詳細は不明です。
そして、5月6日に雨のため中断した楠葉ロケが仮眠を挟んで5月16日までの2日間、断続的に行われます。主に警官隊で固めている外観が15日、カーアクションと、室内での芝居が16日といった具合でしょうか。

役者が出てくる撮影は、この5月16日、楠葉で終わったようです。

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【30周年】1982年5月14日(金)四十二日目■木の岡レイクサイドホテル跡ロケほか

30年前の今日、大滝と田中の死闘が撮影されました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

5月14日(金)四十二日目
早朝釜ヶ崎の実景撮影の為、前日よりサニーストンホテルへ宿泊。3:30出発で現地へ赴けど、雨のせいか労働者諸君も仕事は休みの模様。京都から出発している別班と毛馬で合流撮影後、京都へもどる。
スケジュールもいよいよ後半ギリギリの為、本日より連日の夜間撮影となる。琵琶湖はトルコで有名な雄琴の側にある建築中途で止めたホテル跡で、いよいよ大滝が田中を追い詰め、射殺する場面を撮影する。債権者の問題で銀行所有となったり工事会社になったりで権利が転々としていたこの建物、遂には今回、例によってヤクザさんが登場してきた。入れる入れないでモメた揚句、許可願えたのが二時間程たってから。結果、撮影終了、京都着が午前三時。後三日。皆さん頑張りましょう。

毛馬で合流した後の撮影とは、泉谷しげる(←役者さんの名前です)が藤本からシャブを買うシーン(シーン52)でしょうか。でも、朝には雨が降っていた、ということですので……謎です。

しかし、工藤組の行くところ、ヤクザさんが続々登場しますね。

気がつけば、成田祐介助監督(当時)は24時間連続勤務……恐ろしいですね(笑)。

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【30周年】1982年5月6日(木)三十七日目■楠葉ロケ(雨天中断あり)

30年前の今日、籠城シーンの撮影が開始されましたが、天候により撮影中止を余儀なくされたようです。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

5月6日(木)三十七日目
後半最大のヤマ場である阪上の篭城のシーン。取り巻く包囲陣は総勢三百名。夜間撮影である。当初、クランクイン前からこの撮影準備に関しては各部が最大級の苦労に耐えてきた。製作部は予算上、美術部は装具等、物量の上で、撮影、照明部はもちろん最近にない大夜間撮影故に、車輌部は車輌の手配等々、いずれも京都では初めてに近い大規模な現代劇故なのである。午前中より開始され、昼間部分の撮影、そして夕景、引き続いて夜間、早朝と続く撮影は過酷でないわけがないのである。夜間開始まで順調に進行していた撮影も九時を過ぎる頃から空模様が若干怪しくなってきた。少しずつ増えてきた雨足は十時頃には本降りとなり、撤収を余儀なくされるハメとなる。降り止まぬ暗い空をうらめしく眺めつつ、ズブ濡れになりながらの撤収作業は非常に辛いもの、最後まで手伝い、温かい飲み物を差し入れてくれた住民の皆様に感謝。

多少の前後はあっても、おおまかにシナリオ通りの順で撮影日程は進んでいたようです。
日中の撮影ということでは、おそらく、駐車場での射殺シーンのカースタントもこの日に撮影されたものと推測されます。(パトカーとバンのクラッシュシーンは5月16日に撮影されたことが判っています)
シナリオでは鶴橋の国際マーケット近くのラブホテルとされていた籠城の現場は、枚方市南楠葉~京都府八幡市男山での撮影となりました。

人間が大がかりな準備をしながらも、雨天の前ではどうしようもありません。

ちなみに、
前日の5月5日にも三十六日目の撮影があったようですが、レポートはありませんでした。ひょっとして、5月4日から引き続く明け方までの撮影(撮影所内での恵子絶命シーン)を1日としてカウントしていたものでしょうか。

また、5月7日(金)から5月13日(木)までの7日間に、三十八日目から四十一日目までの撮影が行われたようですが、レポートの記載はありませんでした。

※ 次回は5月14日の予定です。

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【30周年】1982年5月4日(火)三十五日目■九条跨線橋ロケほか・恵子の最期

30年前の今日、いしだあゆみ氏の撮影が完了しました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

5月4日(火)三十五日目
この頃、日数的にはようやく先がみえてきたのだがまだまだ気のぬけない場面がいくつか残っていた。本日、夜間のみであるが、いしだあゆみさんの命日となる日である。囮捜査のウラをかいて恵子が殺される。東福寺駅の入り組んだ高架下で深夜一時までかかり撮影は貫徹された。霧雨を照らしながらの撮影は困難を極め、特に本編中盤のヤマ場でもある故、念入りにテストを繰り返す。ワンカット毎に違う現場、そして雨降らし、何よりも緒形さん、あゆみさんの気の入れ様に、誰ひとり不平をいう者も出ない。深夜終了にもかかわらず、引き続き所内にもどり、このシーンのラストカット、恵子を背に走ってくる大滝のロングショット。日の出が迫ってきている。準備が間に合うか。イチかバチか賭けてみる。結果、ラストカットOKの声を聞いた直後、小道具部屋で飼っているニワトリが一声。緒形さん、あゆみさん、そしてスタッフの皆さん、お疲れさま。あゆみさんはこれにて撮りを全て終了。

大滝と田中の死闘~射殺のくだり(シーン88~91・5/14撮影)を除いて、
囮捜査(シーン8485~87)~恵子の絶命シーン(シーン92)までを
この一日で撮影したようです。
「濡れ路面&逆光」の恵子絶命シーン
九条跨線橋での撮影から、そのテンションを保ったまま、あの「濡れ路面&逆光」の恵子絶命シーンを撮影した感じが画面から伝わってくるのには、こうした現場だったからなのか、と納得しました。

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【30周年】1982年5月3日(月)三十四日目■廃倉庫でのロケ

30年前の今日、前の週までの危険なスタントロケから、土日を挟んで、別の意味で危険な感じのシーンが撮影されました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

5月3日(月)三十四日目
廃倉庫を利用した奇妙なアトリエの主は麿赤児さん。大滝が殺人現場に落ちていた絵をもとに聞き込みを重ねる一場面。暗い中にポツンと浮かぶ不思議に揺れる画面である。照明の渡辺さんの工夫は、またひとつ工藤映像に特色を加えたことになる。

例によって元のシナリオから大胆に抜粋、劇中ではわずか13秒足らずですが、前後のシーンとの色調の違いもあり、インパクトのあるシーンです。
この現場ではスチルも何枚か撮られたようで、パンフレットにもそのうちの1枚が掲載されています。
パンフレットよりアトリエのシーン
こちらのサイトに掲載されているものとは、若干異なるスチルのようです。

聖地巡礼したいのですが、全く手がかりはありません。

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【30周年】1982年4月30日(金)三十三日日■スタントロケ最終日

30年前の今日、5日間のスタントロケ週間が終わりました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

4月30日(金)三十三日日
一連のスタントロケ最終日。再び森之宮公園内で検問突破の場面。明日がメーデーのせいか朝から聞こえるスピーカーのテストとヘリコプターの飛び交う爆音。丁度、望遠レンズにチェンジした時、ヘリコプターが舞い降りてきた。カメラより百メートルと離れていない空地に着陸したヘリは再び舞い上がる。
「まわせ!!」
見逃すハズもなく遠慮なく撮らせていただいたのは何と、〝大阪府警″の本モノのヘリコプターでありました。

大阪城を背景に飛ぶヘリコプター
Cap106
角度から行って、弁天橋のあたりからの撮影と思われます。
検問のロケ地もそのあたりと推測できますが、まだ詳細には特定できていません。
大阪城公園駅が開業するのは1年半後の1983年10月1日のことです。

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【30周年】1982年4月29日(木)三十二日目■スタントロケ4日目

30年前の今日、スタントロケは快調に4日目を迎えました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

4月29日(木)三十二日目
以前、夜間で撮影した十三のキャバレー街。三台の車がその真中でクラッシュする。昼とはいえすぐにギャラリーの集まる土地柄。人ヨケには万全の注意を払うつもりなのだがどうしても素直には協力してもらえない。遂に明らかにそれとわかるヤクザさんが文句をつけにきた。
「オーッ、天下の公道じゃい、誰に断わって撮影なんぞしとるんや!!」
「オーオー、兄ちゃん、悪いナー、人ヨケ手伝ってくれや」
と、まるで意に介さない風のオッサン(監督)の要請に簡単に気を良くしてヤクザさんは人ヨケを手伝ってくれた。ヤクザさんの協力もあって三台の車の衝突場面を無事撮影し舞台を森之宮公園入口に移す。これも例によって信号のタイミング、僅か15秒の微妙な間隙をぬって盗難劇用車とパトカーの競い合いそして横転。市中の真中での惨劇に一般の通行人も思わず足を止めてのぞき込む。余りに無謀に近い撮影にさぞかし製作部の肝を縮ませたことであろう。心中御察し至します。

Cap073
ヤクザをも撮影に協力させてしまう監督のバイタリティ……恐るべし、です。
そして、
Cap058
森ノ宮公園入口とは記述されていますが実際は大阪城敷地の緑地の一角、森ノ宮駅前交差点付近という思いっきり町中での横転……しかもゲリラです。

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【30周年】1982年4月28日(水)三十一日目■スタントロケ3日目

30年前の今日、引き続き中津周辺でのスタントロケが行われました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

4月28日(水)三十一日目
一般にスタント、カーアクションは前述のように広く作業のしやすい所で撮影するのが普通で、その際一般車輌を画面内に利用することは殆んどといっていい位あり得ない。この日、中津Y字交差点で行なったスタントはその常識を完全に打ち破ったといっても過言ではないと思う。信号のタイミングと、スタントマンの技だけで一瞬のうちに撮影してしまった。信号待ちで停車中のドライバー諸氏はさぞや驚いたことと思う。何せ、すぐ脇の歩道をフルスピードで車が走りぬけ、目の前をパトカーがスピンターンして走り過ぎたのであるから、ビックリしない方がおかしいだろう。驚かせてスミマセンでした。

Cap071
この後歩道に乗り上げるシーンもほぼゲリラだったんですねえ……ビックリです。

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【30周年】1982年4月27日(火)三十日目■スタントロケ2日目

30年前の今日、引き続きスタントロケが行われました。
月刊イメージフォーラムでの成田祐介助監督(当時)のレポートでは、以下の通り記されています。

4月27日(火)三十日目
中津陸橋の地下道でのトラック運転手殺害の場面、そして、一車線の狭い京橋商店街を猛スピードで走りぬける場面を撮影。

前日のクジラクラウン・バンの盗難シーンに続いて、「唐突な射殺」シーン……泉谷しげる氏が大活躍です。

京橋のシーンは劇中でどこなのか、正直判りかねています。

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